しかも、お年寄りは「お世話になります」などと言いながら、両手で介護者を拝んだりするのでやりきれません。
理事長は、朝礼で並ばせた職員の前で威張っていればご機嫌なのでしょうが、毎日朝からくだらない話に付き合わされる身の私は、げんなりしていました。
朝礼が終わると寮母室で申し送りをするのですが、今度は看護婦と寮母の陰湿ないがみ合いや、気の合わない夜勤者と日勤者との間で意地の悪い質問が飛び交い、翌月の勤務の早番とか遅番、トイレの掃除は誰がするかといった業務分担を決めるときに、それぞれ意地を張り合うのでした。
ちょっと手を貸せばできることが多いのに、その「ちょっとの手間」というのが、大方の寮母さんには付き合いきれないらしいのです。
改善を提案しようものなら、「やることがたくさんあるんだから早くしてよ」という声が聞こえてきそうです。
実際は忙しいのではなく、無駄な時聞が多いのです。
昼食の配膳がすべて済んでいても、決まった時刻になって賛美歌を歌ってから、のようなやり方こそが問題なのです。
要するに、管理する側の都合が優先されているのです。
急いで入浴を終わらせても、食堂や居室で次のオムツ交換をじっと待たせているのだから、「忙しい」というのは当てはまりません。
しかも、忙しいからといって寮母の人数を増やしたとしても日常業務の決めごとは変わらないので、お年寄りにとっては別に何かが改善されるわけでもなく、単に職員のサボる時聞が増えるということなのです。
多くの手聞をかけるか、かけないかという2つの仕事の仕方しかできず、中聞がないのです。
この傾向は、食事介助でも入浴介助でも同じことに気付きました。
要するに、自分で「これはこの人のためになる」と判断して、個別に必要な手聞をかけてやっていくことができないようになっているのです。
ここはお年寄りのための施設であるにもかかわらず、「お年寄りのため」というのがまったく考えられていないことに改めて気が付きました。
お年寄りは、職員の都合や、やり方に合わせることを強いているだけで、自分で暮らしているという実感は、寝る時間も含めてどこでも持てないような介護がなされているのです。
ここで私が、「このほうがこの人にとっていいだろう」と判断して何かをすると、改善することに興味のない職員にとっては余計なことで、「なんで業務にないことをしなくちゃならないのか、大変なだけじゃないか」とか、「不公平だし、そんなこと全員にできない」と言い出す始末なのです。
手聞がかかるなら、業務に組み込んで全員に周知して行うようにし、お年寄りが自分でできて、介護の手聞がかからないタバコや飲酒などは勝手にさせておく。
要するに、給料分は業務として働くが、それ以外のことには興味がないし、仕事は少ないほうがいい、仕事とはそういうものだ、と割り切ってしまっているのです。
百歩譲って、一般の仕事ならそういう考えでよしとしても、福祉というのは、「個人が幸福を追求できるということをお互いに保障し合う」という大前提が必要で、自分だけ給料を保障してもらうわけにはいかないはずです。
仕事だから決められたことだけをやる、というのではこの仕事は成り立たないように思えてきました。
介護は、お年寄りの自由な生活を支えるためのものですが、管理しなければ施設の運営が成り立たない、という矛盾がたえず気になりはじめ、仕事に慣れていくと同時にだんだんシラケてきました。
職員でもやる気のある人とそうでない人がいます。
気の合う、合わないがあります。
人気があっていつも目をかけられている年寄りがいる一方で、放っておかれる多くのお年寄りがいます。
若い男の職員だからというだけで、そういう人間関係の蚊帳の外にいると、余計にいろいろなことが自に付いてきました。
そんなときに選挙があって、理事長の派閥の議員のために、勤務表をやりくりして職員みんなが無理やり手伝わされたので、私は腹が立って辞めることにしました。
辞職の挨拶に行ったとき、理事長からソ野郎、年寄りのことなどなにも考えていないくせに」とさらに腹が立ちました。
辞めたら別の仕事をするつもりでしたが、理事長の一言で、「もっとマシな老人ホームはないのか」と思ってあちこち探し始めました。
人の話を聞いて、見学やボランテイアに行って実際に見ても、老人ホームはどこも似たようなもので、もっと悪い施設はいくらでもあるが、いい老人ホームはないことに気が付きました。
これは群馬県内に限ったことではなく、日本中の老人福祉施設であの光景が展開されていることを知って、大きなショックを受けました。
さらに調べていくうちに、公的な福祉事業とは別に民間の活動が存在し、そういうところで面白い活動をやっていることを知りました。
これには大きな関心を持ちましたが、経験不足を補うため、近いところで評判のいい特養に、新聞配達のバイトをしながら、ボランティアで通い始めました。
評判のよい特養といえども、国の基準がしっかりあるのでそう変わったことはできないが、基準を作った側は、実際の介護には関心がなく、「利用する人のために」という視点ではつくられていない。
だから民間の活動する余地がある、ということがわかってきました。
通い始めた特養は、私利私欲のない人が運営していて、職場としては居心地がよく、何カ月か通ううちにボランティアからアルバイトになり、さらに正職員になって、役割を与えられるようになりました。
このままでは自分も人間性が変わって、「お年寄りのため」ということが考えられない、ただ仕事として関わるだけの人間になっていくような気がして、ちょうど1年経ったところで辞めてしまいました。
その後、本格的に民間で活動しているところを探したのですが、ほとんどなく、あっても通所やレスパイト的に不定期に活動しているところばかりで、特養のようにお年寄りの生活全般に関わるようなところはありませんでした。
結局、自分の理念を実現するには自分で始めるしかないと思うようになったのです。
借家さがし宅老所を始める決心はついたのですが、その前にもっと勉強すべきことがあると考え、仕事を辞めて片端から本を読んで見学に行って、実際に民間デイを運営している方の話を聞きました。
老人保健施設に勤めている家内に聞いてみても、老健でも実態は特養と似たり寄ったりで、特に新規開所したところは、建物は豪華でも「利用する人のために」という発想は乏しいということでした。
同じ学校を卒業して、知的障害者の更生施設に就職している友人と話をするときに出てくる話題は、施設福祉のやりきれない実態のことです。
資金集めの方法もこれといったものが思い当たらず、チラシをつくって講演会の会場で配ったりする姿は、右翼の活動家のようでした。
空き家を探すにも有効な手だ、てが見つからず、気が滅入ってくるのですが、たまにカンパをいただいて、手紙をくれる人がいて、これは励みになりました。
更生施設に勤めている友人と空き家探しをしていて、これはと思う家が目に止まると近所の方に聞いてみます。
空き家であることがわかつて、目的を切り出すと、とたんに疑惑に満ちた眼差しになってしまいます。
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